共感の皮を被ったシフトレスポンス
こんな記事を読みました。
数年前、仲の良い友人がお父さんを亡くしました。彼女は職場の外にあるベンチに1人ぼっちで座り、微動だにせず、ただ地平線を見つめています。
憔悴しきっていて、私も何と声をかけたら良いのか、見当もつきませんでした。悲しみに沈み、心が弱っている人に、つい言うべきでないことを言ってしまうというのはよくある話です。
そこで私は彼女に、自分は父親を知らずに育ったという話をしました。私の父親は私が生後9カ月の時に潜水艦の事故で亡くなったので、私は父のことを何も知りません。それでも父がいなくてずっと悲しい思いをしてきたと伝えました。
私は友人に対して、あなたは1人じゃない、私も似たような経験をしてきたから、あなたの気持ちはわかる、と伝えたい一心でした。
ところが、私が自分の話をし終えると、友人は私を見つめ、こんな辛辣な言葉を返してきました。
「わかったわ、Celeste、あなたの勝ちよ。あなたにはずっと、お父さんがいなかった。私は少なくとも、30年間、自分の父親と過ごす時間があったんですものね。あなたのほうが大変だったっていうことでしょう? たかが父親が死んだくらいで、私はこんなに取り乱すべきじゃないっていうことなのね」
life hacke の記事より抜粋 訳:長谷 睦/ガリレオ
ついうっかりやってしまう、ヤバイやつです。実は、私の父が母に対して言った言葉が、正にこんな風に私には聞こえたので、それから注意するようになりました。人は誰かに同情を示す際に自分の経験を引き合いに出して、「自分も同じようなことが昔あったから、あなたの気持ちはよく分かる」と伝えたいはずなのに、聞いている側にしてみれば、「自分はあの時もっとひどかったから大丈夫、安心して」と言われている気になってしまう。自分の辛さや痛さは、たいしたことのないように扱われているみたいで・・・
だからこそ、しっかりと共感を示して相手の話に耳を傾ける。自分の経験は語らなくてもいいんです。アドバイスもしなくていいんです。ただただ、相手の痛みや辛さに寄り添う。そして相手が自分に話を向けたときに、ほんの少しご自分のことを語ればいいのではないでしょうか。同情の気持ちからのことなので会話泥棒とは少し意味合いが違いますが、自分のことを語りすぎると話しの中心が自分にずれてきてしまいますよね。自分の話をしっかりと聴いてくれている。これがどれほどの癒しになることか・・・
相手軸にたったコミュニケーション、心掛けたいですよね。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
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